人間としてもう駄目

美味いものだけ食って早く死にたいけど推しの為に生きてる

たまには惚気たいお年頃


…と題名に書いたものの、別にそんなお年頃♡と言うような歳ではない。


最近同性の恋人ができた。

9月14日に3ヶ月目を迎えて、ささやかながらお祝いをした幸せ絶頂期浮かれぽんちと化している。

とにかくかわいい。

毎日かわいい。

息をして生きているだけでかわいい。

恋人めっちゃかわいい。


3カ月のお祝いは何がいい?と聞いたらお揃いのアクセサリーが欲しくて…作って欲しいです、と言われたので速攻ユザワヤで材料揃えてその次の日には完成させたりした。

お揃いの物が増える度にありがとうございます、と嬉しそうにころころと笑う。いやかわいいな、本当存在がとんでもなくかわいい。


8月に誕生日の彼女に時計あげたらすごい喜んでくれて、デートの度に付けてくれるし持ってくるのを忘れてしまったときはめちゃくちゃ凹んでたのでやっぱ世界一かわいいなって思いながら隣を歩いたりしていた。

さっきからかわいいしか言っていない。かわいいから仕方ない。


閑話休題


前置きが長くなってしまったが、こんな愚痴ブログに別に惚気を載せるためだけに書いているわけではない。

なんとなく所感として今感じていることを書き留めるために久々にこのブログを開いた。


同性の恋人って、難しい。


別に彼女に問題があるわけではなく、私に問題があるわけでもない。と信じたい。

お互いがお互いを好きで、ずっと一緒にいたくて手を繋いでいる。


なのになんでこんなに生き辛く感じるんだろう、と思う。


彼女と付き合う時に話した一番大事な最初の話は将来の話だった。

彼女はもう私しかいないと言っていて。私だって彼女以外を人生のパートナーに選ぶ気はなかった。ずっとこの子と生きていきたいと思ったから口説き落とした。そこら辺の出会いの話は色々あったから割愛するが、元々彼氏がいたこともある彼女のことを同性愛の道に引きずり込んだのは私だったし、彼女の親に反対されたり何か言われたときに矢面に立って暴言を吐かれるのは私だけでいいと、今でも思っている。


彼女は手を繋ぐのが好きだった。抱きしめてもらうのも好きで、とにかく人との距離感が近くて、くっついているのが好きな寂しがりやだった。本人が寒がりというのもあったかもしれないが、別れ際には必ずハグをして別れるし、人混みでははぐれないように手を繋いでいた。そしてそれは別に、恋人でなくてもするのが彼女の「当たり前」だった。

私が一番最初にしたのは、友人とは普通手を繋がないし、そこまで距離感が近くもない、という話で。恋人とならいいのか、という話になれば、まだ若いうちの今ならばいいが、将来的には厳しくなる、という話もした。

同性愛という愛に、世界はそこまで寛容ではない。生物の生殖能力に逆行しているし、単純にマジョリティである異性愛の人から見たら異常に見えるからだろう。大多数の人間と違うことをする人、というのは後ろ指を指されやすい。特に日本ではそうだ、となんとなく感じている。


これは私の所感だが、高校生くらいまでの女の子達が手を繋いでいると、仲がいいんだな、くらいで終わることが多い気がする。女子校なんかは特に、距離感がバグるというか、それで許される雰囲気がある。周りも別に、眉を寄せる人は多くない。一重に彼女達がまだ発展途上で、若いからだ。今はそうでも、将来的には友人と手は繋がなくなるし、適切な距離感で人の隣を歩くようになる。そう思ってるから、同性愛だ!とは思わない。仲がいいのね、で終わる。

だがこれが、30歳以上だったりしたらどうだろうか。40、50と歳を重ねて、まだ手を繋ぐ同性がいたら?手を繋ぐ二人を見て、仲がいいのね、で終わる人はあまりいないだろう。

「あぁそういう人達なのね」と思う人が多いのではないだろうか。その時に、それで終わりか、嫌悪感を抱くかは人それぞれだ。

別に嫌悪感を抱かれるだけなら構わない。だがそれが、危害へのきっかけになったらどうだろうか。

この世界には悲しきかな、同性愛は殺してもいい、あいつらは異常者だ、なんて本気で思っている人間がいる。もちろんそんな人は本当の本当に極少数で、そこら辺にうじゃうじゃいるわけではない。いたら困る。

でも、その人と普通の人の区別は、ぱっと見ただけではわからない。名札があるわけでも、私は人の悪意が目に見えるような超能力者でもないのだ。

だから危害を向けられる可能性は少しでも減らしたい。万が一私にではなく、彼女に悪意が向けられたら、きっと彼女は外に出なくなるだろう。人の視線を気にして、人の評価を気にして、自己肯定感が一ミリも無い彼女は人の悪意にとことん弱い。あと物理的な力も弱い。同性の私でさえ片手で彼女の両手を掴んで動きを封じられるくらい弱い。本当びっくりする位弱い。前世は綿菓子でできているふわふわした妖精か何かだったんだと思う。かわいいし。かわいいな…

手を繋いでいる所を見て、同性愛だとわかったその悪意ある人が、例えば私と駅で別れて帰る途中の彼女の後をつけて危害を加えたら?とか。手を繋いでいただけで、すれ違った時に暴言を吐かれたら?とか。

杞憂だとか、考えすぎだとか、そう思う人もいるだろう。でも可能性はゼロではないのだ。別に同性愛でなくても、女性というのはいるだけで暴言を吐かれることもあるくらいなのだから

私自身、夜のスーパーで夕飯に食べるシーザーサラダを買うために選んでいたら「女のくせに家で炊事をしないとは何事か」とクソジジイに怒鳴られたことがある。その日は唐揚げも買って帰った。おいしかった。

そんな世の中で、更に受け入れられにくい同性愛者が警戒するのは間違っていると断言できるだろうか。


だから将来的に、手を繋がない選択肢を私は提示した。

普通の人はそんなことしないし、外では友人としての距離感で歩こう、と。

きっと勇気ある人々は手を繋ぐのだろう。私達の愛に変な所などないと、私達の愛は間違っていないと、堂々と歩く人々はいるのだろう。それはそれでいい。その人たちを否定したくない。すごいと思うし、尊敬もする。ただ私は、その勇気よりも悪意から彼女を守りたい気持ちが勝った臆病者なのだ。

彼女は寂しそうに話を聞いていたが、最終的にはわかった、と頷いた。

そのときに言われた言葉が、今でも私の頭の中に残っている。

「普通を、教えてください。私にはわからないんです。だから、ちゃんと言ってください。手を繋がないよ、とか、くっつかないよ、とか」

「ちゃんとしますから、捨てないでください。お願い」

私は、…私は、これから、彼女のしたいことをきっと沢山だめだよ、と言わなければならないのだろう。

あぁ生き辛いな、と思う。この世界はなんて、息がし辛いのだろうか。

ただそれでも、私は彼女の手を取ったし、彼女をこちらに引きずり込んだのだ。

だから私は、ずっと彼女の隣にいるために、きっと普通を教え続ける。

いつかその普通が「おかしいこと」になるのを切に願いつつ、今日も私は、彼女の隣にいるのだ。


蠱毒


「もうそのジャンルは蠱毒だよ」


一ヶ月ほど前、畑違いのオタクから指摘された時の言葉だ。

私はとあるジャンルにハマっている。読む人によってはかなり気分の悪くなることを書くので、気をつけてほしい。


…と言って今日も愚痴を書こうと思っていたのだが、書こう書こうと考えているうちにどうでもよくなってしまった。怒りの感情は引きずり難い、というのは本当のことらしい。今はどうでもいい、という感情の方が強い。

どうでもいい、という感情の方が強いが、忘れてしまうのも癪なので備忘録のように書いておこうと思う。


ジャンル名を隠すのも早速面倒になったので言ってしまうがヒプノシスマイク君のことである。オタクでツイッターをよく見ていて周りに好きな人がいる、という人は一度くらいは聞いたことがあると思う。ヒプノシスマイク、解釈違い炎上騒動…みたいな話を。


それはコミカライズの出来の悪さから端を発し、脚本家の過去ツイートが漁られ暴露されることから始まり、更にその脚本家が反省を一切していない様子がお仲間さんからツイートされ燃え…そしてそれを見た全然ヒプマイを知らないオタクから「解釈違いとか(笑)」と煽られたり、同ジャンルファンから「これでジャンル降りるとか愛がない」とか言われるという、地獄のような様相を呈している。

ジャンル内は数多くの愚痴垢が作られ、またそれを叩きたい愚痴垢叩きが現れる…イタチごっこここに極まれりと言いたい勢いである。

一応それ以外にも、人気キャラの声優が飲食店の椅子に足をのせて座っている写真が燃えたり、女性マネキンのスカートの下を覗いた声優のツイートがあたかもそのキャラがやったかのように別の声優によって引用ツイートされて燃えたりホームページから設定文がサイレントで変更されたりスカートの下をのぞき込んで燃えた声優が「中傷ばかりする奴らとやりあって一つ学んだ事がある。奴らは攻撃する相手が 後ろを向いている時だけ強気なんだ。」というラッパーの名言ツイートみたいなやつを深夜にRTしてすぐRTを取り消して物議を醸したりなんだかんだ色々あったのだがあまりにもキリがないので割愛する。


まぁ様々あったのだが私としては辛かったことが一つ。

あまりにも推しの供給がなかった。それだけである。

最近ようやっと雑誌で特集されたり新規絵と新曲が発表されたりしたが、それまでがあまりにも長かった。

私の周りでまだヒプノシスマイクを好き、という人間のほとんどはシンジュクとヨコハマ推しだ。同担はどこに行ったのか?と言いたくなる。簡単なことである。彼女達は元ジャンルに戻っていった。「また供給があるようなら呼んでね」と言いながら。そうして新曲が決定した今、戻ってきた子は何人もはいない。一度割れてしまったガラスはそう簡単に元には戻らないのである。


少し距離をおきたいと思えば同ジャンルファンからは愛が足りないと叩かれ、疑問を呈すればアンチだ愚痴垢だと叩かれる。じゃあただ推しを見ていればいいのではと思っても肝心の供給が無い。

もうどうすればいいのだろうか。


なんて思って愚痴をこぼし、返ってきたのが冒頭のセリフというわけだ。


蠱毒

ヒプノシスマイクは蠱毒なのだろうか。


昔同じ言葉を別の友人に使われたことがある。アイドリッシュセブン蠱毒ジャンルだと。

まぁわからなくもない。気の狂ったファンを有している、それを許容しているファンの多いあのジャンルは蠱毒と言えなくもない。

だがあそこは供給がある。絵アドに目を瞑らなくてはいけないとか、原作者の言動に不信感しかないとか、そもそもパク要素が多い疑問に目を瞑らなくちゃ楽しめないとか、そこまで褒め称えられるほどストーリーがいいのかわからないとか色々あるかもしれないが新規絵と推しの供給が沢山あるのである。

そこを考えるとあそこはマイクよりよほど良い環境なのではないかと思えるのだ。

蠱毒の中にも上下があるとは驚きの発見である。正直狂気に塗れたファンの数は同じくらいではないかと思うのだが大元である壺(運営)のクオリティに違いがあったらしい。困ったものだ。


だが少し思うところがある。

これは友人に言われたことではなく、日々の愚痴垢観察ツイッターで見かけたことだ。元ツイを出せと言われても探すのが面倒なので、話半分に読んでほしい。

蠱毒と言われたジャンルは、何も上の2つだけではない。

松でも言われていた。刀剣乱舞でも言われていた。もっと昔ならカゲプロでも言われていた。

何が言いたいって、爆発的に流行ったジャンルは大体が蠱毒と言われているのである。

そして蠱毒と言われたジャンルが今どうなっているのか見ると、隣の芝生効果もあるのだろうが変なのがほぼいなくなって住みやすそうに見える。

刀剣乱舞はまぁ賛否両論あったが映画もあったし最近はゲーム環境がかなり変わったらしい(※個人の感想です)。松もブームは落ち着いたがその分長くハマりたいファンがマイペースに創作を楽しんでいる(※個人の感想です)。

どちらも昔は害悪しかいない、なんて言われていなかったか。なんせ嘘松と盗剣乱舞なんて言葉が生まれたくらいである。あと全然関係ないがあの言葉はどこから生まれているのだろうか。センスがすごい。色々な意味で。

閑話休題

ここまでだらだらと書きすぎてしまった気がする。話が少し脱線してしまった。

ヒプノシスマイクは刀剣乱舞や松のように、いつか落ち着ける日が来るのだろうか。

あの時は大変だったけど…今は運営もファンも大分マシになったよねと笑って振り返ることができる日が来るだろうか。


私は来てほしいな、と思う。設定やキャラが崩壊しっぱなしのコミカライズも、誰も得しない声優の炎上も、愚痴垢の愚痴垢叩きという何を叩きたいのかわからなくなっていたファン同士の現状も、何もかも笑って流せる日が来てほしいと思っている。ただそれまで私がこのジャンルにいることができるのかがわからない。ふとうっかり元いたジャンルに戻ってしまうのかもしれない。


私は今日も、そんな蠱毒の中を生きている。

果たしてこの壺の中で私の推しへの心が生き残れるのか死んでいくのか、ただそれだけが心配である。

誕生日


Happy Birthday to me...Happy Birthday to me...

11月11日に無事に誕生日を迎えました私です。お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。


題名的におめでたい話だと思っただろうか?

残念ながら今日も愚痴である。

私も何かしらおめでたい話を書きたいが、普段のツイッターが頭パッパラパーにお花畑でおめでたいので許されたいなと思う。


閑話休題

さて、先程も言った通り誕生日の話である。


私は友人の誕生日を祝うのが好きだ。

誕生日プレゼントを選ぶのも好きだ。友人の好みを考えて何がいいか選ぶのはワクワクするし、それがちゃんと喜ばれるとこちらまで嬉しくなる。

だから間に合うなら友人の誕生日はなるべく祝うようにしている。大体1500〜2000円程度のあまり高くない物だが、プレゼントも用意する。


さて、ここまで話をして急に別の話をぶち込むのは気が引けるが一つ考えてほしい。

人間は見返りを求める生き物である。

…というと主語がでかいとか私はそうじゃないとか言われそうであるが、少なくとも見返りを全く求めずに行動する人間はあまりいないのではないだろうか、と思う。

少なくとも私は求めるものでは無いとわかっていても求めたくなってしまうような心が死ぬほど狭い人間である。完全に見返りを求めず行動する人間ってマザーテレサとかキリストとか、そういう聖人君子タイプの人ではないだろうか。


嫌われたくないから人には親切にするし、親不孝者と詰られたくないから親の世話をする。

何かいい事をしたら褒められたいし、何か渡したらありがとうと言われたい。


それと同じである。

誕生日を祝ったからには、祝われたい。

「うわっこいつ自分の誕生日を祝われたいから友達の誕生日祝ってんのかよ性格悪すぎ」と思った人は多いかと思うが、別に祝われたい一心で祝っているわけではない。先程も言ったが人のプレゼントを選ぶのは好きだ。だから誕生日を祝うのはある種の趣味と言ってもいいのかもしれない。

あと、そもそも性格が悪くなければこんなブログをやっていない。右頬を打たれたら左頬なんか差し出さずに腹を殴った挙句に正当防衛を主張したいと思うような人間に善性なんかあるはずがないのである。


「お前が祝ったからと言って同等の態度を求めるのは相手の自由を侵害していてお門違いだ」と言われるのはわかっているのだが、思うだけでわざわざ一人一人に個チャしたりして祝えと強要するわけではないので許してほしい。


 …話が今日はよく飛ぶ。さて愚痴である。


私は友人から誕生日を祝われる事が少ない。


とても悪い言い方をすれば祝い返してくれる友人が少ない。


私は大学で文芸サークルに入っている。全学年合わせて50人位はいる、割と大きなサークルだ。

その中で同学年の仲の良い女子は私を含めて6人。私は大学2年の時にそのうちの1人から誘われて途中参加したが、他の5人は1年の時からずっと仲がよかったらしい。

さて、その5人。仲が良いから当たり前なのかもしれないが、誕生日は割とお互いにお祝いするのが恒例となっている。

皆でどこかに食事に行ったり、1人暮らしの子の所に集まって飲み会をしたり。方法は様々だが、誕生日当日でなくとも予定があう時に集まって誕生日パーティーをしている。プレゼントも何人かでお金を出してその子にプレゼント!みたいなことをしている。非常に微笑ましい光景である。


…察しのいい方はわかったのではないのだろうか。

そう、私だけ誕生日を皆から祝われたことがない。


それどころか去年は私の誕生日当日に10月誕生日だった子の誕生日パーティーを企画され、「貴方も〇〇ちゃんの誕生日をお祝いしよ!」と誘われた。さすがにそこまで心が広くなかったというか自分の誕生日を祝いたかったので、おめでとうとはいったがパーティー自体は丁重に断らせていただいた。

「付き合いが浅いのだし、皆がお前の誕生日を知らないだけでは」と思うかもしれないが、残念ながら私をサークルに誘った子は私の誕生日当日に「おめでとう〜!!」とLINEを送ってくるような子である。悪い子ではないのだがその子は当然5人の中の1人だ。全員が知らないということはないはずなのである。


…去年はまぁ、仕方ないかな…と思った。皆の予定があった日がその日しか無かったのだろう。別におめでたいことなのだしちゃんとお祝いできない私も心が狭いからなんとかこの性悪な性格をなんとかするべきだと反省したりした。


さて今年である。

今年は私の誕生日当日にパーティーは組まれることはなかった。当たり前だが私の誕生日は祝われることもなかった。もう清々しいので何も言うまい。私の愚痴を聞いてくれる神みたいなツイッターのフォロワーに「幸せになってほしい」と言われたのが誕生日ハイライトだ。幸せになりたいです。でもツイッターで色んな人にめちゃくちゃお祝いしてもらったので当日マジで幸せでした。ありがとうございました…


今年はその子達の誕生日パーティーは11月17日に組まれた。1人暮らしの子の元に集まって、皆でお酒でも飲みながら…なんて企画である。去年は参加できなかったし、今年はちゃんとお祝いさせてもらおう!と思ってプレゼントを買って参加した。

プレゼントは喜んでもらえた。とても嬉しかった。相手の好みをばっちり把握するのが不得意ながらも考えた物を喜んでもらえるのはいつだって嬉しくなる。この為に考えて買うのだとも思える。


お酒を飲みながら、色々な話で盛り上がった。あぁやっぱこの子達悪い子じゃないし、お祝いできてよかったなぁなんて少し思っていた。

その中でふと、年齢の話になった。

と言っても皆同年代だから、誰が誕生日が早かったかみたいな話である。

12月生まれの子が「私が12月でこの中では1番末っ子かな」と言って、祝われている子もそうだね、と頷いた。

その中で私も「私もこの前誕生日だったから割と後ろの方かな」なんてことを言った。誕生日の話をしているのだから別に変なことは言っていない…と思う。


「あぁ、そういえば11日だったんだっけ」

「そうなんだ」


返ってきたのはそれだけだった。

そのまま友人達は別の話題に流れていく。好きなアニメの話、この料理美味しいねとか、お酒まだ飲む?とか、取り留めもないことが目の前を流れている中、私はへらりと笑ったまま缶チューハイをことりとテーブルに置いた。

なんだが酷く、悲しい気分になってお酒を飲む気になれなかった。


何かを求めるのはエゴだ。そんな物求めるほうがおかしいのだと笑われるかもしれない。馬鹿だなと思われるかもしれないが、ただ一言だけでいい、「そうなんだ、おめでとう」と言ってほしかった。


私は祝う価値などない人間だと思われているのだろうか。

そこまで選んだプレゼントが気に入らなかったのだろうか。

普段から仲良くしていて損しかないなんて思われているのだろうか。


私のことなんて、どうでもいいのではないか。

私は、皆の「友人」ではないのだろうか。


なんだか酷く悲しい気持ちを抱えたまま、私は皆の話に合わせて笑って飲み会を終わらせた。流石にその場で「私は皆の友達ではないのかな」なんて聞けなかったし非常識である。さすがにそこまでメンヘラクソ野郎ではない。


それが昨日の出来事である。またくだらない愚痴を書いてしまった。

…来年は、お互いに誕生日を祝える友達が増えるといいなぁなんて祈っている。


父親の浮気


物騒なタイトルである程度察しがついていると思うがまた愚痴である。

私は割と嫌なことは溜め込む方で、あれこれ悩んだあとにその悩んだ自分を思い返しながら文字を書くことが多いのだが、今回はほんの数分前に起こったことを頭の中の整理がつかない状態で書かせてもらいたいと思っている。吐き出さないと気が狂いそうなので、いつもより更に散文になるかとは思うがご了承いただきたい。


父親が浮気しているらしい。

…と言っても、別に父親本人から「浮気してるんだ」と聞いたわけではない。ついでにいうと私の両親は離婚している。離婚しているのに何故浮気?と聞かれると思うが、一応父親は再婚を望んでいるかつわたしと母の家にちょくちょく来ては父親面している状態で他の女がいるようなので「浮気」と書かせてもらっている。


最初のきっかけは9月中旬。父の仕事鞄を開けた時だった。

仕事から家に来た父は、シャワーを浴びたいと玄関から風呂場へ直行して行った。シャワーを浴びるのは別に構わなかったので、私も母も特に気にしなかった。

その時に父の鞄からスマホの着信音が鳴ったのだ。おそらく誰かから電話が来たのだろう。仕事の電話だったら困るだろうから、風呂場までスマホを持っていこうと私は鞄を開けた。

鞄の中はごちゃごちゃとしていた。父は整理が苦手だった。仕事着の着替え、弁当箱と水筒、財布。そしてスマホは鞄の奥の方で光っていた。腕を突っ込んで引っ張りだす。その時にスマホと一緒に私は何枚かの小さな紙を掴んでいた。

非常に驚いたのを覚えている。着信に震えながら光るスマホと一緒に出てきたのは、ラブホテルのスタンプカードや名刺のような紙だった。

まさかと思った。

なぜ、と思った。

そして、母には絶対に見せられないと思った。


母は心配性の人間だ。それに今は失語(これに関しては過去記事を読んでいただきたい)で過度にストレスが溜まっている。余計な心労を増やすわけにはいかないという考えのプロセスが瞬時に頭をかけめぐった。

私は母に見られないうちに急いで紙を鞄の奥底に突っ込み、スマホを持って父のいる風呂場まで歩いた。

父にスマホを渡す瞬間、不審がられないか内心不安でいっぱいだった。

本当はあの紙はなんだと聞きたかった。母がいながら、再婚したいと言いながら浮気しているのかと糾弾したかった。

だけど今家には母がいる。母を不安にさせるわけにはいかない。ストレスで脳梗塞になったなんて言われているのに、更にストレスがかかったら今度こそ死んでしまいそうだ。

それに、浮気がバレた瞬間に父はこの家から逃げるような気がした。逃げてもう二度と戻ってこない気がした。

悔しいが私はまだ学生だ。母と二人で残されて、父の援助が無くなるのは痛い。家計的に非常に痛い。

今ここで騒ぎにして、この現状を壊すのが怖くて、私は黙って父にスマホを渡した。


それが、浮気してるらしいと思った最初の出来事。


次の出来事はさっき起こった話だ。

ここまで書いて、少しだけ気持ちが落ち着いてきた気がする。


私の父親は機械に弱い。

新しい物が好きな癖して、パソコンはキーボードすら指一本で打つような人間だ。

そんな人間が、スマホなんて満足に扱えるわけもなく。

一昨日、「壊れた」と言って私の元にスマホを持ってきたのは今年に入って3回目だった。

毎度毎度原因を調べつつデータのバックアップなどをしていた私だが、今回の壊れ具合は酷く、仕方なく修理センターに連絡した。

幸い保険に入っていたらしく、明後日には代替機が届きますよと電話の向こうで受付のお姉さんが優しく言った。


そうして新しいスマホが届いたのが、今日。

データの引き継ぎができない、と言ってきた父に、私はいい加減覚えろと半分怒りながら引き継ぎを行った。

日頃のバックアップのおかげか、写真や電話帳などはすぐにデータが復旧した。

ただ、LINEはログインにパスワードが必要で、そのパスワードを父は忘れていたから再設定が必要だった。


私は父に再設定ができるなどとは思ってなかったので、勝手にやらせてもらうことにした。再設定したパスワードは後でメールで送って、やり方を指示して父の覚えやすいパスワードに後から変えてもらえばいいだろうと考えていた。

Google PlayストアからLINEをインストールして、メアドを入力してパスワードを再設定する。

動作としては簡単なことだ。

ただ、私はこんなこともできないなんて、と父にイライラしていたから指先が焦っていた。

焦っている時というのは何かしらのミスをするものだ。

案の定、私はストアではなく、隣のアルバムをタッチしていた。


その時、父はトイレに行っていた。

母はもう眠いからと、布団で眠っていた。

私は心底、二人がいなくてよかったと思った。


データを引き継いだ父のアルバムには、知らない女性の大量の女性器と口淫の写真が保存してあった。


思わずアルバムを閉じた。スライドして、アプリを終了させた。

後ろを振り返る。誰もいない。

当たり前だ。父はトイレに行ったばかり、母はとっくに寝室で寝ている。リビングにいるのは私だけだ。

それでも確認せずにはいられなかった。

何かとてもとても重い鈍器で、横から頭をぶん殴られた気がした。


その後の記憶はぼんやりとしている。

ただLINEの復旧作業をした時、父の友だち欄にいたアイコンの一人の女性の顔が、そのアルバムにいた知らない女性の顔と似ている気がした。

目眩がしたし、心臓がバクバクしていたことはよく覚えている。今も少しクラクラしている中でこれを書いている。

深夜だったから父も眠かったのか、私の様子がおかしいことには気がついていないようだった。私はこれ幸いと「データの引き継ぎはできてるはずだから後で確認して、あと充電忘れずに」とだけ言って自分の部屋まで小走りで帰った。


それがさっきの話だ。今の話だ。

頭が混乱してどうすればいいのかわからずに自分の部屋にいる。

私は父を糾弾すべきなのだろうか。何故他の女がいながら母に再婚したいと言うのだと責めるべきなのだろうか。

母には話せない。さっきも書いたが、こんなこと話したら死んでしまうと思う。

兄に相談すべきかと思ったが、兄はもう家を出ている身だ。それに兄と父は相性が悪くいつも喧嘩していた。兄が絡んだら問題がややこしくなりそうだ。

こんなこと友達に相談できるはずがない。


でも今すぐ父を問い詰めれば、絶対に母にはバレる。何より父の家賃援助がなければ、私と母は今この家に住めていないし、そもそも私は大学に通う金が本当になくなってしまう。


どうすればいいんだろうか。

私はどうするべきなんだろうか。

悩みながら書いていたら、もう一時間立ってしまった。

そんな深夜の、頭の痛い悩みの話だ。




同ジャンルの女と話が合わない


特に見る人もフォロワーぐらいしかいないブログなんだから愚痴ぐらい好きなだけ吐いていいってフォロワーが言ってたから書く。


割と前々から言っていたことではあったけど、同ジャンルの女と話が合わない。


趣味嗜好で合わないわけじゃない。私は腐女子、向こうも腐女子。推しカプは違えどお互いのカプは地雷ではない。

えっどうせ誰も見てないブログだからはっきり書いていい?アイナナです。よくパクナナー!って炎上してたし今も割と炎上してるジャンルですね。そういやパクナナってツイッターで発言すると粘着垢からよくわかんないリプライ飛んでくるらしいけど今どうなんです?いや今はそんな話どうでもいいんですけど。


そう。同ジャンルってつまりアイナナの女と話が合わないって話である。


別にアイナナを下げたいわけではないのだけど、彼女の発言を周りのアイナナ民も普通に受け入れているのを見て「アイナナはこれが普通なのか」と愕然として合わないなと思っただけだ。


前置きが長い。すまない。


最近よく女性向けソシャゲが荒れている印象がある。

具体的に言うとあんステとか、A3!のシャッフル公演とか。A3!のシャッフル公演は私もA3!の新参者ながらやべぇなと思いながら見ていた。いや怖いわあんなん。そこまでするか腐女子やべぇよ私も腐女子だけどさぁ…


まぁ簡単に言うと今年はよく炎上してんな、という印象である。いや去年も散々炎上はしてるんですけど…今年はファンもやらかすし運営もやらかすしで大変じゃないっすか…平和に生きたい…


そんな中でアイナナの女は言う。

「いや〜それに比べてアイナナちゃんの運営は神だわ」

「ああいうの(あんステ)に比べてアイナナちゃんの運営は信頼できるんだよね」


いやめちゃくちゃ燃えとるやんけ…運営めっっっちゃくちゃに燃えとるやんけ…香水事件とか忘れたんかこいつ…?いや香水より前にも色々あったけど…諸々忘れたんか…?


補足的に説明するのだが、私はアイナナは割と好きな方ではある、と思う。ゲームはやってる。課金はどうしても欲しい推しのカードの時に課金してる。アニメは見てないしグッズは最近買うの控え始めたけど。キリがねぇわグッズ。

でもパクナナって言われるのは仕方ないのではないかとも思う。なんというか、運営からパクってない!って言われたから絶対に白!と言うには怪しいというか、なんだかなぁと思う部分が個人的にはあるのだ。

叩かれるのを覚悟でやらなきゃかなとも思っているので、高校時代の友人には隠してアイナナをやっている(友人はパクナナが嫌いと公言しているので)。そのアイナナを嫌いな友人がいないツイッターでは話をしているけど、最小限にして鍵垢で話すべきかと悩んでいたりもする。

割と運営にはモヤモヤした気持ちがある状態でゲームをやっている、という状況だ。

じゃあなんでそんな状態でやってんのと言われると推しが…好きなので…としか言えない。だって推しが可愛い。推しを好きになってから諸々調べてしまったので、なんというか好き!という気持ちとこれはやばいのでは?という気持ちがごっちゃ混ぜになってどうすればいいのかわからないのだ。世のアイナナの民はどうやって折り合いをつけてるのだろうか…


補足も長い。本題に戻る。

さてアイナナの女。そんな発言を割と何処かが炎上する度にしている。

あんステの時は「ライブの対応はアイナナのが上だったね!」と発言したし、それより前にうたプリのライブ会場とアイナナのライブ会場が同じでちょっと炎上した時は「うたプリがライブまでにかかった時間よりアイナナがそのライブ会場のキャパになる時間の方が短かったからさ〜まぁ、ね?」とか言っていた。頭が悪いのでなにがまぁ、ね?なのかさっぱりわからなかったがまぁ、ね?らしい。


本当に毎回する。他のジャンルを見て、「アイナナ運営は神」「アイナナは平和」「運営信じてる」etc.etc.

要するに他sage自ageがあまりにも激しいのだ。


しかも全くアイナナの話をしていないのに突然出してくる。

私は単純に「なんだかあんステ大変そうだね、あぁいうの救済措置とかあればいいのになぁ」と言っただけなのだが、「それに比べてアイナナの運営は信じられるよ」と返ってくるのである。

何を言ってもこうである。炎上している他ジャンルにむけて自ageして何になるのかさっぱりわからない。


最初はまぁその、我慢した。

言い方が不味いのでは、とは思ったが、余程アイナナが好きなんだろうなぁと思った。

でも途中から首を傾げたくなることも増えた。そこまでして必死に自ジャンルageをする必要はないのではないだろうか?

そしてその発言に違和感を感じていないアイナナの女の周りが不気味だと思ってしまったのだ。


だって他sage自ageして「運営は神」と言っているのを、周りが頷いたり一切否定をしていないのって盲目的すぎやしないか?

誰か一人くらいはおかしいと思わないのだろうか?

少なくとも他sageする必要はないと思わないのだろうか?


…そんな経緯で、なんとなく同ジャンルの女と話が合わないなと思っている。

アイナナ民全員がそんなわけじゃない!と読んだ人は思うのかもしれないが、少なくとも私の周りにいるアイナナの女はそういう人間しかいないのだ。

今ちょうど「アイナナは本当に平和なジャンルだと思う。」と言っているアカウントがアイナナアンチのアカウントでは?なんて言われているが、私の周りのアイナナファンからはあんな発言日常茶飯事なので、絶対にアンチだと決めつけられないと言うことを覚えておいてほしい。


以上。長々と失礼しました。


親の変化と私の変化について



取り留めのない愚痴を書こうと思ったのだが、それよりも忘れないように過去の備忘録のようなことを含めて最近の近況を書いてみようと思う。

そう書いているつもりはないが、 読みようによっては不幸自慢のように取れるかもしれないので読むならば注意してほしい。



私の母親は2年ほど前、脳梗塞で倒れている。

具体的に言うと私が大学1年生の冬。「今季一番寒いかも」なんて天気予報で言われていた冬の朝のことだった。


あの頃のことは今でもはっきりと思い出せる。

朝起きて、1階のリビングに私が降りた時に炬燵付近に蹲っていた母は異常だった。意識はあるのに焦点の合わない目、震えて冷えきった指先、言葉の出てこない口。廊下に落ちて引きずられた跡のある便と、開きっぱなしのトイレのドア。


恐ろしかった。ただひたすらに「もしかしたら目の前のこの人は死んでしまうのだ」という気持ちしか生まれなかった。我武者羅に救急車を呼んで、パジャマのまま裸足にスニーカーなんて情けない格好で母の保険証と当時飲んでいた薬を引っ掴んで病院まで搬送してもらった。

そんな格好でも寒さなんて1ミリも感じなかったのは、それくらい必死だったのだと思う。「寒いな」と思ったのは病院についてから、母がカテーテル手術で一命を取り留めたと医者から説明された後だった。 


幸いなことに、身体の後遺症はほぼ無いに等しいと言われた。「若干左半身が動かしづらいかもしれませんが、日常生活には問題ありません。恐らくカテーテルで開けた穴が塞がればすぐに歩けるようになりますよ、幸運でしたね」と医者からは微笑まれた。


問題は言葉だった。

母は一命を取り留めたが、その代わりに言葉をほとんど失っていた。

あいうえお表を見せてもそれがわからないと首を振る。文字は震え、書けたとしてもその文字が単語を表すことはなかった。目の前にいる医者と私が会話する内容や、簡単な指示(例:「箸を取ってみて」などの指示)でも理解ができずに固まってしまう。ゆっくりと喋り、ジェスチャーで物を指差したりすればようやく何をしてほしいのか、何を話しているのか理解できる。その程度だった。

これでも軽度な方です。リハビリすればある程度は治りますよ。なんて医者から言われて私は驚愕したのをよく覚えている。これでは仕事はおろか、まともな日常生活でさえ危ういではないか、と。そしてリハビリしたとしても、完全には戻らないのか、と。


それでも母は気丈だった。

カテーテル手術の術後経過観察が終わり、寝たきりから立てるようになった頃。脳神経外科からリハビリ専門の病院に移った母はわからないなりに積極的に本や新聞を眺め、ラジオやTVから言葉を吸収しようとした。

母の病室からはいつも何かしらの音がしていた。それはTVの笑い声だったり、ラジオから流れるクラシック音楽だったり、新聞を捲る音だったり、本を開く音だったり、ノートパソコンのキーボードを恐る恐る叩く音だったりした。

「話せない」「文字が理解できない」という状況は多大なストレスだったのだろう。数週間に2、3度、子供のように癇癪を起こし、途切れ途切れの言葉とジェスチャーで「なんで私の言いたいことがわからないのか」「死んだほうがマシだった」「お前達は私を馬鹿にしている」などと攻められたりしたが、癇癪を起こした後の母はいつも申し訳なさそうな顔をしていた。

私としては母からは幼少期から割と理不尽なことで怒られていたので(昔の母は私が思い通りにならないとよく叩いてくる人だった)、癇癪など特にこれと言って何も思わず「あぁまたか」くらいだった(し、叩かれたり手を出してくる事が無かったので昔より遥かに傷つかなかったかつ罵詈雑言だけならば受け止めるのは楽だった)のだが、母としては申し訳ない気持ちがあったらしい。

今でも当時のことは小学生の頃のように包丁が投げられてこないだけマシな気がしているのだが違うのだろうか。まぁそんなことはどうでもいいのだが。


とにかく母は母なりにリハビリを努力して続けていた。それはリハビリ病院を退院して、家に戻ってきた今もだ。

おかげで昔よりもこちらの会話を理解してくれるようになったし、TVのニュースや料理本などの内容や指示が最低でも8割程度はわかるようになった。文字も短い文章や自分の名前、住所はほぼ書けるようになっている。最初は「ぬ、いさ」(あとで聞いたら牛乳、と打ちたかったらしい)「やほとね、ありません、!?」(何を打ちたかったか思い出せないが何かを伝えたかったと言われた)などと書かれ、高難易度の暗号解読のようになっていたLINEやメールは「牛乳、買う。スーパー(^o^)」「8時、帰る?」などのように意味のわかるメッセージへと変化した。

正直2年でここまで戻るとは想像できていなかった。それほどまでに母の努力は並々ならぬものだったのだ。


そして家に戻ってきた母は、若干だが倒れる前と性格が変化していた。 

具体的に言うと、私のやっていることに何も口を出さなくなった。


母は倒れる前、私を管理することが大好きだった。私は大学生になっても大学の授業が遅くまで無い日の門限が18:30だったし、基本的に友人とのディズニーランドはいい顔をされなかった(母はディズニーが嫌いだった)し、私はバイトで月にいくら稼いだか母に毎月報告しなければならなかった。

アニメグッズなど買っていたのがバレたら「こんなもの無駄」と怒られたし、母が気に入っていたり好きなアニメ以外の深夜アニメを録画すると「意味がわかんないこんな話」と否定されたし、図書館で『イラストの描き方講座』みたいな本を借りたのを見つかった時は「なんでこんなものを借りてきたのだ」と2時間程説教をくらった。あの時の正座は割と痛かった。


それが何故だろうか、母が倒れて、家に戻ってきてから怒られることが本当に減った。

まるで別人のようだと今でも思う。


友達と旅行に行きたいと言えば行ってらっしゃいと送り出され、日付を超えない程度なら夜遅く帰っても怒られない。絵を描いていたら上手だねと褒められ、作ったイヤリングを見て、また作ったの?それかわいいねと微笑まれる。見たいアニメを録画すれば、「どんなアニメ?面白い?」と隣に座って私の解説を聞いている。

大学1年生までの生活が嘘のように、私の生活は自由になった。

私は文字を書くのが好きだ。絵を描くことも好きだ。MMDも弄るし、ハンドメイドでアクセサリーを作るのも好きだ。

友人からはやりすぎだと言われるが、残念ながらまだやりたいことが沢山あるような人間だ。


だから、今の生活は趣味に関しては素直に楽しいと思える。

母のリハビリや薬代のこととか、学費のこととか就活のこととかバイトの人間関係とか親戚から年々強まってくる「穀潰しめ…」みたいな目とか、大学にいるグッズ厨からのマウント取りとかストレスの塊になるようなことがありまくってたまに「この世界はクソ、死ねこの野郎が」と口汚く叫びたくなるが、好きなことができてそれを肯定してもらえるということが、こんなにも楽しいことなのだと思っていなかった。

やりたいことをやって、それをバレないように怯えなくていいというのが、こんなにも幸せなことだと思わなかった。


人生はクソゲーって思うしストレスは尽きないけど、そこだけは知れてよかったな、と思う。

以上、これが最近の私の変化と、母についてである。


明日は何しようかな、おやすみなさい。







グッズ厨と話が合わない


ブログ開口一番にこんな題名でいいのだろうかと思ったが他に特に書くこともない。とりあえず吐き出すだけ吐き出しておきたいので書こうと思う。ただのオタクの愚痴と読み流してもらいたい。


グッズ厨と話が合わない。


こう言うと「そんなわけない」「グッズ厨全員と話したわけでもあるまいし」「主語がでかい」などと叩かれそうなので補足するが、別にグッズ厨全員が嫌いなわけではない。

何度か交換や譲渡で取引した方は親切な方が多かったし、推しの缶バッチ等を無限回収して痛バックを作る人は単純にすごいと思っている(金銭的な意味でも労力的な意味でも)。


単純に、私の周りにいる(つまるところ友人という立場にいる)グッズ厨と尽く話が合わない。

合わない、というより一緒にいて嫌な気持ちになることが何度かある。


私は元々グッズは欲しいな、と思ったものだけ買うタイプで、それがランダム商品の場合は交換に出したり譲渡したりする、という、ゆるーくのんびり集めるタイプだった。

親がアニメグッズを買うことにいい顔をしない&あまり隠せる場所が無かったことや、単純にバイト代が学費と生活費に直結する(実家暮らしだけど生活費は払うという自分でもよくわからない状況に陥っている)のでお金がなくて買えなかった、という事情はあるが、まぁゲームで言えば所謂エンジョイ勢みたいな感じでオタクをしている身である。


そんな感じでゆるくやっていた大学2年の夏頃、グッズ厨の彼女と急速に仲良くなった。

きっかけは確か、過去ジャンルのハマり方が似てたのと、お互いに大学では数少ない腐女子(しかも奇跡的にお互いの推しCPが地雷ではなかった)ということだったと思う。あまり詳しくは覚えていないが、とにかく私達はすぐに意気投合した。

彼女は無限回収とまではいかないが、かなりの数のグッズを集めているようだった。缶バッチやラバストはほとんど箱買いしていたし、部屋にはグッズのみが入った段ボールが何箱か積み重なっている写真を見せてもらったこともある。痛バも作って、コラボカフェに持ってきていた。


最初はすごいな、と思っただけだった。

あぁそれだけ好きなのだなと。


私は別に「グッズを持っている数=愛の大きさ」と思ってはいないが、そうまでして大量にグッズを買う熱量をそのキャラに持っているのはすごいと思ったし、そのためにバイトを頑張っている彼女に対して一種尊敬の念を持ってすらいた。


しかし苦しくなり始めたのはそこからだった。

具体的に言うと、彼女はその「グッズ集め」をするのはファンとして、クラスタとして当然の行為だという考えの持ち主だったのである。


最初は様子を見ていたようだが、私が多少グッズを買ったりしているのを見たからか、彼女は何かグッズを買う度にこちらにも「買わないの?」と同調を求めるようになった。

それはラバストだったり、缶バッチだったり、アクスタだったりと多岐にわたるものだった。


さっきも言ったが私には金が無かった。口が悪くなるがマジで無かった。もうどうしようもないくらいに無かった。

だって大学に通いながらバイトして、脳梗塞でぶっ倒れた母親の病院代リハビリ代出して家の食費負担して、ついでに学費も払うってなって逆に何が残んの?残んねぇよって感じだった。離婚した父親からの援助無かったら今頃餓死だわ。まぁ援助くっっっそ少ないけど。人生はクソゲー不労所得で百億ほしい。

そんな状況でグッズにかけるお金があるわけなく。いや多少はあったけど全部買うなんてとても無理なわけで。

心苦しいけど断った。「全部は買えない」

「元々缶バッチは買ってなかったから遠慮しとくよ」(缶バッチは昔から管理がど下手だったから買う予定なかった)とか言った覚えがある。

そしたら彼女は怒ったのか、納得いかないというか不満気で。あぁ怖いなぁ、断らなきゃよかったかなと、少し不安になったし断らなきゃいけない自分のお金の無さが悲しかった。


悲しくなりながらも私は彼女とそのまま仲良くした。だって金無いの自分だし。断る私が悪いし、ちょっと機嫌取りみたいなのしなきゃいけないのが嫌でも我慢しなきゃみたいなことを思っていた。今考えるとアホだなって思う。


ここまでが二年の話。

そうして過ごすうちに私達は進級して、大学三年生になった。

大学三年生。就活の時期である。

就活。母親のリハビリの手伝いと生活費を稼ぐバイトと同時に就活。地獄である。いっそ殺してほしい。

私はどんな仕事がしたいか考えた結果、まぁ公務員になろうと思った。貧しい家庭の子供に私と同じ様な苦労をさせたくないから行政で助けたいなんてエゴの塊を夢見たからである。

公務員といえば公務員試験。勉強しなければ試験には受からない。私は運良く塾には行かず、20万払うことで大学の公務員試験講座(塾と同じ内容が受けられる)にお世話になることとなった。

さておわかりだろうか。試験講座に出るということはつまり、バイトの時間が減るということである。

バイトの時間が減るということは、稼ぐ金が減るということである。

あと単純に普通に塾に行くより安いとはいえ20万払ったの死ぬほどキツかった。ばあちゃん援助ありがとう。この恩は死ぬ前までに絶対に返します。


私のグッズにかける金は更に減ることとなった。


三年生になって、私と彼女はとあるジャンルが好きになっていた。そしてたまたま推しCPが被った。そのジャンルにはキャラ同士が組むチームが何組かあって、皆色々なチームを推していたが、私と彼女は同じチームが好きになったのだ。

そして彼女は完全に箱推しになった。

私は推し中心の箱推し気味、という形に落ち着いた。

つまりグッズを買うときに、彼女はそのチームのメンバー全員を求め、私は最低でも推しが出たら無理せず全員集めなくてもいいかな(集まったら嬉しいし欲しいから出たら手元に置くけど)みたいな状態になったわけで。


推しチームが被ることによって始まってしまった。何がってつまり、あれである。

マウント取りである。


彼女はことあるごとにチームを揃えることに力を入れ始めたし、それに同調するようにこちらに求め始めた。

その頃から無理かもな、と思った。こいつと話が合わないなと。


でも我慢した。だって彼女もバイト頑張って買ってるんだし。私がもっと金持ってればこんなマウント取られることもなかったんだから私が悪いんだし、と思った。アホ過ぎて泣けてくる思考回路である。


それでも限界が来た。それが3日ほど前のこと。


夏休み中のこと。その推しチームがいるジャンルでぬいぐるみが出ることになった。

予約開始時の値段は1体3000円ちょっと。正直めちゃくちゃ可愛かったからチーム全員欲しかったけど金が無かった。金を稼ぐためにバイトしたくとも講座で時間が潰れた。あと母親の病院の薬代が高かった。キレそう


その時、彼女は当然チーム全員予約したと話していた。

私はふと彼女に言った。

「今本当に金がないけど、このぬいぐるみ本当に可愛いから推しだけでも買っちゃったら笑ってくれ」

と。

金がないのに推しには財布の紐緩んじゃうよな〜みたいなノリで。実際買おうかなって思ってた。何食か抜いて私の分の食費浮かせれば良いかなって思った。

そしたら彼女はこう言った。 


「いいけど、そしたら私はお前のことくっっそ煽るからな!「なんで3人揃えてないんですかぁ!?」って!」


は?

正直に言うと殺意が湧いた。本当にこいつぶっ殺してやりてぇ…と思ったのは2年ほど前に知り合いから地雷をリプライで送られた時以来だ。

私が金を払うのに。お前が払うわけではないのに。なんで推しを買おうとして煽られなきゃいけないのか。

なんでチーム全員買う私が上!とでも言いたげに嘲られなければならないのか。


その場では怒れなかった。その時私と彼女がいたのはアニメイトの中だったので、流石にそこで喧嘩は避けたいと思ったのだ。

その代わりやんわりと「学費とかあるから…」と言った。そしたら「私も金ないですけどねぇ!」と返ってきた。


もう駄目だこいつって思った。思ってしまった。

そこが限界だった。

彼女には私の家庭環境も話していたから、「金がない」が本当にどういう状況か多少は理解してくれているだろうと思っていた私が馬鹿だった。


もう3日経っているのに未だに彼女の声を思い出してキツくなる。

私はなんでグッズを買えなかっただけで嘲られたんだろうか。

実家暮らしで食費を払わなくて良くて両親が元気で公務員講座も受けてない彼女の「金がない」がやたら軽く聞こえたのは私が悪いのだろうか。


もう疲れた。

こいつと話が合わない。もうグッズのことでこいつと話したくない。なんで大学同じで同じゼミなんだろ……


…………なんて、そんな愚痴である。

グッズ厨と話が合わないという、まぁクソ長い愚痴だ。ついでに家庭環境の愚痴だ。

ここまで読んだ人はお疲れ様でしたと言いたい。こんな暗い話、聞いたところでつまらなかったと思うが、これだけは覚えておいてほしい。


貴方がもしグッズを集めるのが好きだとしたら。

そして貴方の周りに、グッズをあまり集めていないけどその作品が好きな子がいたら。

どうかマウントを取るのはやめてほしい。その子がグッズを買っても買わなくても、嘲笑うことだけはやめてほしい。

グッズを大量に持ってないから愛が薄いとか、推す力が足りないとか、本人にぶつけるのはやめてあげてほしい。

貴方のその一言で傷付く相手は、絶対にいるのだから。



終わり

P.S 私の友人でグッズ厨の君へ。このブログをもし読むことがあったら、君は絶対に自分のことを言われていると気がつくだろう。

私はこの件に君のことを許しはしないから、君ももうグッズに関して私に関わらないでくれ。それ以外の、推しCPについて語る君は好きだ。だからこの好きという感情までを、嫌いという感情に変えさせるのはやめてくれ。よろしく頼む。