人間としてもう駄目

美味いものだけ食って早く死にたいけど推しの為に生きてる

たまには惚気たいお年頃


…と題名に書いたものの、別にそんなお年頃♡と言うような歳ではない。


最近同性の恋人ができた。

9月14日に3ヶ月目を迎えて、ささやかながらお祝いをした幸せ絶頂期浮かれぽんちと化している。

とにかくかわいい。

毎日かわいい。

息をして生きているだけでかわいい。

恋人めっちゃかわいい。


3カ月のお祝いは何がいい?と聞いたらお揃いのアクセサリーが欲しくて…作って欲しいです、と言われたので速攻ユザワヤで材料揃えてその次の日には完成させたりした。

お揃いの物が増える度にありがとうございます、と嬉しそうにころころと笑う。いやかわいいな、本当存在がとんでもなくかわいい。


8月に誕生日の彼女に時計あげたらすごい喜んでくれて、デートの度に付けてくれるし持ってくるのを忘れてしまったときはめちゃくちゃ凹んでたのでやっぱ世界一かわいいなって思いながら隣を歩いたりしていた。

さっきからかわいいしか言っていない。かわいいから仕方ない。


閑話休題


前置きが長くなってしまったが、こんな愚痴ブログに別に惚気を載せるためだけに書いているわけではない。

なんとなく所感として今感じていることを書き留めるために久々にこのブログを開いた。


同性の恋人って、難しい。


別に彼女に問題があるわけではなく、私に問題があるわけでもない。と信じたい。

お互いがお互いを好きで、ずっと一緒にいたくて手を繋いでいる。


なのになんでこんなに生き辛く感じるんだろう、と思う。


彼女と付き合う時に話した一番大事な最初の話は将来の話だった。

彼女はもう私しかいないと言っていて。私だって彼女以外を人生のパートナーに選ぶ気はなかった。ずっとこの子と生きていきたいと思ったから口説き落とした。そこら辺の出会いの話は色々あったから割愛するが、元々彼氏がいたこともある彼女のことを同性愛の道に引きずり込んだのは私だったし、彼女の親に反対されたり何か言われたときに矢面に立って暴言を吐かれるのは私だけでいいと、今でも思っている。


彼女は手を繋ぐのが好きだった。抱きしめてもらうのも好きで、とにかく人との距離感が近くて、くっついているのが好きな寂しがりやだった。本人が寒がりというのもあったかもしれないが、別れ際には必ずハグをして別れるし、人混みでははぐれないように手を繋いでいた。そしてそれは別に、恋人でなくてもするのが彼女の「当たり前」だった。

私が一番最初にしたのは、友人とは普通手を繋がないし、そこまで距離感が近くもない、という話で。恋人とならいいのか、という話になれば、まだ若いうちの今ならばいいが、将来的には厳しくなる、という話もした。

同性愛という愛に、世界はそこまで寛容ではない。生物の生殖能力に逆行しているし、単純にマジョリティである異性愛の人から見たら異常に見えるからだろう。大多数の人間と違うことをする人、というのは後ろ指を指されやすい。特に日本ではそうだ、となんとなく感じている。


これは私の所感だが、高校生くらいまでの女の子達が手を繋いでいると、仲がいいんだな、くらいで終わることが多い気がする。女子校なんかは特に、距離感がバグるというか、それで許される雰囲気がある。周りも別に、眉を寄せる人は多くない。一重に彼女達がまだ発展途上で、若いからだ。今はそうでも、将来的には友人と手は繋がなくなるし、適切な距離感で人の隣を歩くようになる。そう思ってるから、同性愛だ!とは思わない。仲がいいのね、で終わる。

だがこれが、30歳以上だったりしたらどうだろうか。40、50と歳を重ねて、まだ手を繋ぐ同性がいたら?手を繋ぐ二人を見て、仲がいいのね、で終わる人はあまりいないだろう。

「あぁそういう人達なのね」と思う人が多いのではないだろうか。その時に、それで終わりか、嫌悪感を抱くかは人それぞれだ。

別に嫌悪感を抱かれるだけなら構わない。だがそれが、危害へのきっかけになったらどうだろうか。

この世界には悲しきかな、同性愛は殺してもいい、あいつらは異常者だ、なんて本気で思っている人間がいる。もちろんそんな人は本当の本当に極少数で、そこら辺にうじゃうじゃいるわけではない。いたら困る。

でも、その人と普通の人の区別は、ぱっと見ただけではわからない。名札があるわけでも、私は人の悪意が目に見えるような超能力者でもないのだ。

だから危害を向けられる可能性は少しでも減らしたい。万が一私にではなく、彼女に悪意が向けられたら、きっと彼女は外に出なくなるだろう。人の視線を気にして、人の評価を気にして、自己肯定感が一ミリも無い彼女は人の悪意にとことん弱い。あと物理的な力も弱い。同性の私でさえ片手で彼女の両手を掴んで動きを封じられるくらい弱い。本当びっくりする位弱い。前世は綿菓子でできているふわふわした妖精か何かだったんだと思う。かわいいし。かわいいな…

手を繋いでいる所を見て、同性愛だとわかったその悪意ある人が、例えば私と駅で別れて帰る途中の彼女の後をつけて危害を加えたら?とか。手を繋いでいただけで、すれ違った時に暴言を吐かれたら?とか。

杞憂だとか、考えすぎだとか、そう思う人もいるだろう。でも可能性はゼロではないのだ。別に同性愛でなくても、女性というのはいるだけで暴言を吐かれることもあるくらいなのだから

私自身、夜のスーパーで夕飯に食べるシーザーサラダを買うために選んでいたら「女のくせに家で炊事をしないとは何事か」とクソジジイに怒鳴られたことがある。その日は唐揚げも買って帰った。おいしかった。

そんな世の中で、更に受け入れられにくい同性愛者が警戒するのは間違っていると断言できるだろうか。


だから将来的に、手を繋がない選択肢を私は提示した。

普通の人はそんなことしないし、外では友人としての距離感で歩こう、と。

きっと勇気ある人々は手を繋ぐのだろう。私達の愛に変な所などないと、私達の愛は間違っていないと、堂々と歩く人々はいるのだろう。それはそれでいい。その人たちを否定したくない。すごいと思うし、尊敬もする。ただ私は、その勇気よりも悪意から彼女を守りたい気持ちが勝った臆病者なのだ。

彼女は寂しそうに話を聞いていたが、最終的にはわかった、と頷いた。

そのときに言われた言葉が、今でも私の頭の中に残っている。

「普通を、教えてください。私にはわからないんです。だから、ちゃんと言ってください。手を繋がないよ、とか、くっつかないよ、とか」

「ちゃんとしますから、捨てないでください。お願い」

私は、…私は、これから、彼女のしたいことをきっと沢山だめだよ、と言わなければならないのだろう。

あぁ生き辛いな、と思う。この世界はなんて、息がし辛いのだろうか。

ただそれでも、私は彼女の手を取ったし、彼女をこちらに引きずり込んだのだ。

だから私は、ずっと彼女の隣にいるために、きっと普通を教え続ける。

いつかその普通が「おかしいこと」になるのを切に願いつつ、今日も私は、彼女の隣にいるのだ。