誕生日
Happy Birthday to me...Happy Birthday to me...
11月11日に無事に誕生日を迎えました私です。お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
題名的におめでたい話だと思っただろうか?
残念ながら今日も愚痴である。
私も何かしらおめでたい話を書きたいが、普段のツイッターが頭パッパラパーにお花畑でおめでたいので許されたいなと思う。
閑話休題。
さて、先程も言った通り誕生日の話である。
私は友人の誕生日を祝うのが好きだ。
誕生日プレゼントを選ぶのも好きだ。友人の好みを考えて何がいいか選ぶのはワクワクするし、それがちゃんと喜ばれるとこちらまで嬉しくなる。
だから間に合うなら友人の誕生日はなるべく祝うようにしている。大体1500〜2000円程度のあまり高くない物だが、プレゼントも用意する。
さて、ここまで話をして急に別の話をぶち込むのは気が引けるが一つ考えてほしい。
人間は見返りを求める生き物である。
…というと主語がでかいとか私はそうじゃないとか言われそうであるが、少なくとも見返りを全く求めずに行動する人間はあまりいないのではないだろうか、と思う。
少なくとも私は求めるものでは無いとわかっていても求めたくなってしまうような心が死ぬほど狭い人間である。完全に見返りを求めず行動する人間ってマザーテレサとかキリストとか、そういう聖人君子タイプの人ではないだろうか。
嫌われたくないから人には親切にするし、親不孝者と詰られたくないから親の世話をする。
何かいい事をしたら褒められたいし、何か渡したらありがとうと言われたい。
それと同じである。
誕生日を祝ったからには、祝われたい。
「うわっこいつ自分の誕生日を祝われたいから友達の誕生日祝ってんのかよ性格悪すぎ」と思った人は多いかと思うが、別に祝われたい一心で祝っているわけではない。先程も言ったが人のプレゼントを選ぶのは好きだ。だから誕生日を祝うのはある種の趣味と言ってもいいのかもしれない。
あと、そもそも性格が悪くなければこんなブログをやっていない。右頬を打たれたら左頬なんか差し出さずに腹を殴った挙句に正当防衛を主張したいと思うような人間に善性なんかあるはずがないのである。
「お前が祝ったからと言って同等の態度を求めるのは相手の自由を侵害していてお門違いだ」と言われるのはわかっているのだが、思うだけでわざわざ一人一人に個チャしたりして祝えと強要するわけではないので許してほしい。
…話が今日はよく飛ぶ。さて愚痴である。
私は友人から誕生日を祝われる事が少ない。
とても悪い言い方をすれば祝い返してくれる友人が少ない。
私は大学で文芸サークルに入っている。全学年合わせて50人位はいる、割と大きなサークルだ。
その中で同学年の仲の良い女子は私を含めて6人。私は大学2年の時にそのうちの1人から誘われて途中参加したが、他の5人は1年の時からずっと仲がよかったらしい。
さて、その5人。仲が良いから当たり前なのかもしれないが、誕生日は割とお互いにお祝いするのが恒例となっている。
皆でどこかに食事に行ったり、1人暮らしの子の所に集まって飲み会をしたり。方法は様々だが、誕生日当日でなくとも予定があう時に集まって誕生日パーティーをしている。プレゼントも何人かでお金を出してその子にプレゼント!みたいなことをしている。非常に微笑ましい光景である。
…察しのいい方はわかったのではないのだろうか。
そう、私だけ誕生日を皆から祝われたことがない。
それどころか去年は私の誕生日当日に10月誕生日だった子の誕生日パーティーを企画され、「貴方も〇〇ちゃんの誕生日をお祝いしよ!」と誘われた。さすがにそこまで心が広くなかったというか自分の誕生日を祝いたかったので、おめでとうとはいったがパーティー自体は丁重に断らせていただいた。
「付き合いが浅いのだし、皆がお前の誕生日を知らないだけでは」と思うかもしれないが、残念ながら私をサークルに誘った子は私の誕生日当日に「おめでとう〜!!」とLINEを送ってくるような子である。悪い子ではないのだがその子は当然5人の中の1人だ。全員が知らないということはないはずなのである。
…去年はまぁ、仕方ないかな…と思った。皆の予定があった日がその日しか無かったのだろう。別におめでたいことなのだしちゃんとお祝いできない私も心が狭いからなんとかこの性悪な性格をなんとかするべきだと反省したりした。
さて今年である。
今年は私の誕生日当日にパーティーは組まれることはなかった。当たり前だが私の誕生日は祝われることもなかった。もう清々しいので何も言うまい。私の愚痴を聞いてくれる神みたいなツイッターのフォロワーに「幸せになってほしい」と言われたのが誕生日ハイライトだ。幸せになりたいです。でもツイッターで色んな人にめちゃくちゃお祝いしてもらったので当日マジで幸せでした。ありがとうございました…
今年はその子達の誕生日パーティーは11月17日に組まれた。1人暮らしの子の元に集まって、皆でお酒でも飲みながら…なんて企画である。去年は参加できなかったし、今年はちゃんとお祝いさせてもらおう!と思ってプレゼントを買って参加した。
プレゼントは喜んでもらえた。とても嬉しかった。相手の好みをばっちり把握するのが不得意ながらも考えた物を喜んでもらえるのはいつだって嬉しくなる。この為に考えて買うのだとも思える。
お酒を飲みながら、色々な話で盛り上がった。あぁやっぱこの子達悪い子じゃないし、お祝いできてよかったなぁなんて少し思っていた。
その中でふと、年齢の話になった。
と言っても皆同年代だから、誰が誕生日が早かったかみたいな話である。
12月生まれの子が「私が12月でこの中では1番末っ子かな」と言って、祝われている子もそうだね、と頷いた。
その中で私も「私もこの前誕生日だったから割と後ろの方かな」なんてことを言った。誕生日の話をしているのだから別に変なことは言っていない…と思う。
「あぁ、そういえば11日だったんだっけ」
「そうなんだ」
返ってきたのはそれだけだった。
そのまま友人達は別の話題に流れていく。好きなアニメの話、この料理美味しいねとか、お酒まだ飲む?とか、取り留めもないことが目の前を流れている中、私はへらりと笑ったまま缶チューハイをことりとテーブルに置いた。
なんだが酷く、悲しい気分になってお酒を飲む気になれなかった。
何かを求めるのはエゴだ。そんな物求めるほうがおかしいのだと笑われるかもしれない。馬鹿だなと思われるかもしれないが、ただ一言だけでいい、「そうなんだ、おめでとう」と言ってほしかった。
私は祝う価値などない人間だと思われているのだろうか。
そこまで選んだプレゼントが気に入らなかったのだろうか。
普段から仲良くしていて損しかないなんて思われているのだろうか。
私のことなんて、どうでもいいのではないか。
私は、皆の「友人」ではないのだろうか。
なんだか酷く悲しい気持ちを抱えたまま、私は皆の話に合わせて笑って飲み会を終わらせた。流石にその場で「私は皆の友達ではないのかな」なんて聞けなかったし非常識である。さすがにそこまでメンヘラクソ野郎ではない。
それが昨日の出来事である。またくだらない愚痴を書いてしまった。
…来年は、お互いに誕生日を祝える友達が増えるといいなぁなんて祈っている。